PARK上田城跡公園案内
上田城は天正11年(1583年)真田昌幸により築城されました。 現在は公園として整備され約1000本の桜が咲き誇ります。夜にはライトアップされた夜桜が楽しめます。
当時、城の南には千曲川が流れ、緩やかで深みのある流れが天然の堀となっていました。この場所を「尼ヶ淵」と称したことから、上田城は「尼ヶ淵城」と呼ばれていたという説もあります。
堀の中に線路が敷設され、かつては電車が走っていました。昭和47年(1972)年に廃止となり、その後ケヤキ並木が完成しました。
真田信之が、松代移封の際に父の形見として持ち去ろうとしましたが、不動であったとの伝説をもつ直径3mの大石です。
昭和24年に南櫓と北櫓を移築復元し、平成6年に櫓門が復元され、かつての東虎口の姿がよみがえりました。
真田氏ほか歴代上田城主を祀る。「落ちない城」にあやかり、受験生に人気です。
本丸唯一の井戸で、直径2m、深さ16.5mに達します。この井戸には抜け穴があり、城北の太郎山の砦や上田藩主居館に通じていたという伝説があります。
尼ヶ淵の河岸段丘上に築かれた本丸隅櫓。江戸時代に真田氏にかわって上田藩主となった仙石氏が上田城の復興工事をした際に建てたものと考えられています。
二の丸堀の水抜きの石樋。元禄15年(1702)の修復で、木製から石の樋にかえられました。陸上競技場側に出口がみえます。
本丸土塁に見られる隅おとし。これは土塁の北東(丑寅)隅を切り込み、「鬼門よけ」としたもので、上田城の大きな特徴のひとつです。
VARIETIES 上田城の桜の品種
江戸時代に染井村(現在の東京都豊島区)で生まれたと考えられる日本産の園芸品種です。上田城跡公園内では最も多く見られます。
ソメイヨシノの登場前は、サクラといえばヤマザクラのことを指していました。古来より親しまれてきた代表的な野生の桜です。
花の色がウコンの根茎で染めた色に似ていることから、この名前が付きました。
エドヒガンから作られた園芸品種、枝の垂れ下がる原因は枝の上下の成長速度の差によって起こるといわれています。
花期が早く、春の彼岸のころ咲くのでこの名前がつきました。
本州・四国・九州に分布する野生種。花期が早く、関東地方で彼岸のころには咲くところからこの名前がつきました。
「日露戦争に行った軍人が凱旋記念に持ち帰って植えた」と言われており、魯西亜(ロシア)の「魯」の字と、桃に近い植物なので「桃」の字を入れ、「魯桃桜」と命名されました。